2020.11.29(sun) 敏達天皇紀[5] ・三少女が仏の道に
2020.11.14(sat) 崇峻天皇紀[4]・法興寺(元興寺)の創建
2020.11.04(wed) 崇峻天皇紀[3]・捕鳥部万の忠犬伝説
2020.10.30(fri) 敏達天皇紀[4] ・日羅の招請。
2020.10.21(wed) 崇峻天皇紀[2]・物部守屋の滅亡
2020.10.12(mon) 欽明天皇紀[16]・聖王の死
2020.10.09(fri) 崇峻天皇紀[1]・穴穂部皇子への攻撃
2020.09.27(sun) 用明天皇紀[2]・物部室屋と蘇我馬子の対立
2020.09.21(mon) 欽明天皇紀[15]・百済の対高句麗・新羅戦線の緊迫
2020.09.13(sun) 用明天皇紀[1] ・穴穂部皇子を推す物部守屋大連。
2020.09.03(thu) 欽明天皇紀[14] ・『日本霊異記』『扶桑略記』に書かれる比蘇寺。
2020.08.24(mon) 敏達天皇紀[2] ・高句麗使の航海路。
2020.08.02(sun) 敏達天皇紀[1] ・書紀古訓を検討する。
2020.08.01(sat) 欽明天皇紀[24] ・欽明天皇陵の真陵。
2020.07.26(sun) 欽明天皇紀[23] ・高麗使の日本海経路。
2020.07.19(sun) 欽明天皇紀[13] ・仏教の到来。
2020.06.30(tue) 欽明天皇紀[12] ・百済新羅蜜月の終了。
2020.06.21(sun) 欽明天皇紀[11] ・百済新羅関係の変化。
2020.06.06(sat) 欽明天皇紀[10] ・百済との関係の深まり。
2020.05.30(sat) 欽明天皇紀[9] ・佐渡の粛慎伝説。
2020.05.14(thu) 欽明天皇紀[8] ・百済の強硬姿勢。
2020.05.08(fri) 欽明天皇紀[7] ・任那建国はリップサービス。
2020.04.29(wed) 欽明天皇紀[6] ・百済と日本府との駆け引き。
2020.04.27(mon) 欽明天皇紀[5] ・下韓の郡令・城主を要求。
2020.04.24(fri) 欽明天皇紀[4] ・任那日本府の実像。
2020.04.19(sun) 欽明天皇紀[3] ・百済国王の言葉。
2020.04.16(thu) 欽明天皇紀[2] ・重ねて任那国を検証する。
2020.04.10(fri) 欽明天皇紀[1] ・姓(せい)と姓(かばね)の区別。
2020.03.16(mon) 宣化天皇紀[2] ・事実上は大伴金村大連政権。
2020.03.12(thu) 宣化天皇紀[1] ・那津之口官家は大宰府の前身か。
2020.02.14(fri) 安閑天皇紀[5] ・大隅宮西大道村(東淀川区)説の検証。
2020.01.29(wed) 安閑天皇紀[4] ・二十六屯倉設置の意味に迫る。
2020.01.13(mon) 安閑天皇紀[3] ・一方でオリジナルの韻文も。
2019.12.11(wed) 安閑天皇紀[2] ・韻文担当者の力量は如何に。
2019.11.17(sun) 安閑天皇紀[1] ・中央権力の屯倉が国造を蚕食。
2019.10.08(tue) 継体天皇紀[6] ・毛野臣の罪過とは。
2019.09.25(wed) 継体天皇紀[5] ・新羅による加羅への攻撃。
2019.08.31(sat) 継体天皇紀[4] ・『百済本記』に依拠?
2019.08.20(tue) 継体天皇紀[3] ・南韓との外交関係。
2019.08.10(sat) 継体天皇紀[2] ・難波館(なにはのむろつみ)。
2019.08.02(fri) 継体天皇紀[1] ・農績振興の詔。
2019.06.20(fri) 武烈天皇紀[6] ・百済が倭に距離を置いた背景。
2019.06.17(mon) 武烈天皇紀[5] ・広陵町、大和高田市の古地名。
2019.06.12(wed) 武烈天皇紀[4] ・大伴氏による権力奪取。
2019.06.11(tue) 武烈天皇紀[3] ・影媛の文学的表現の背景。
2019.06.09(sun) 武烈天皇紀[2] ・「なをあましじみ」の意味を探る。
2019.06.04(tue) 武烈天皇紀[1] ・武烈天皇は徹底的に貶められる。
2019.05.31(fri) 仁賢天皇紀[4] ・仁賢天皇の事績が乏しいという問題。
2019.05.24(fri) 仁賢天皇紀[3] ・「秋葱の双納(あききのふたこもり)」とは何か。
2019.05.23(thu) 仁賢天皇紀[2] ・佐伯部を統率する諸氏を探る。
2019.04.22(mon) 顕宗天皇紀[4] ・高句麗vs新羅百済の国境紛争。
2019.04.17(wed) 顕宗天皇紀[3] ・天照大神から高皇産霊神への皇祖神の転換を探る。
2019.04.02(wed) 仁賢天皇紀[1] ・実は顕宗天皇は尊大な人物であったか。
2019.03.25(wed) 顕宗天皇紀[2] ・古訓の妥当性を問う。
2019.03.20(wed) 顕宗天皇紀[1] ・曲水宴をどう訓むか。
2018.12.24(mon) 清寧天皇紀[2] ・大盤振る舞いする。
2018.12.16(sun) 清寧天皇紀[1] ・諸族は皇子を神輿として争う。
2018.12.09(sun) 雄略天皇紀[20] ・防人の先駆か。
2018.12.05(wed) 雄略天皇紀[19] ・遺詔の作られ方。
2018.11.24(sat) 雄略天皇紀[18] ・最古の浦嶋の子説話。
2018.11.03(sat) 雄略天皇紀[17] ・またまた誇大に見せようとするか。
2018.10.19(fri) 雄略天皇紀[16] ・近代古墳(伊賀市)に注目すべし。
2018.10.12(fri) 雄略天皇紀[15] ・物部氏への依存。
2018.09.27(thu) 雄略天皇紀[14] ・諫言によって心を改める話がまたひとつ。
2018.09.20(thu) 雄略天皇紀[13] ・独裁者の資質とは。
2018.09.11(tue) 雄略天皇紀[12] ・大伴氏の本貫は。
2018.09.01(sat) 雄略天皇紀[11] ・官軍の敗北を隠さないリアリズム。
2018.08.28(tue) 雄略天皇紀[10] ・宗像社への遣使。
2018.08.26(sun) 雄略天皇紀[9] ・任那日本府と膳臣斑鳩。
2018.08.12(sun) 雄略天皇紀[8] ・新漢(いまきのあや)の渡来。
2018.08.07(tue) 雄略天皇紀[7] ・三諸山の大蛇。
2018.08.05(sun) 雄略天皇紀[6] ・泊瀬山を観察。
2018.07.28(sat) 雄略天皇紀[5] ・昆支王の来朝。
2018.05.07(mon) 雄略天皇紀[4] ・栲幡皇女の運命。
2018.05.05(sat) 雄略天皇紀[3] ・太悪天皇。
2018.04.28(sat) 雄略天皇紀[2] ・それは古代の百済の言葉か。
2018.04.24(tue) 雄略天皇紀[1] ・英雄色を好む。
2018.03.09(fri) 安康天皇紀[1] ・雄略天皇の強暴。
2018.01.09(tue) 允恭天皇紀[5] ・男狭磯(おさし)伝説。
2018.01.04(thu) 允恭天皇紀[4] ・茅渟宮の衣通郎女(そどおりいらつめ)。
2017.12.28(thu) 允恭天皇紀[3] ・春日県の範囲。
2017.12.24(sun) 允恭天皇紀[2] ・地震。
2017.12.17(sun) 允恭天皇紀[1] ・皇后の昔話。
2017.11.21(tue) 履中天皇紀[2] ・蔵職(くらつかさ)と讃岐国造。
2017.11.10(fri) 履中天皇紀[1] ・石上溝の比定。
2017.09.26(tue) 仁徳天皇紀[9] ・仁徳天皇陵は寿陵。
2017.09.23(sat) 仁徳天皇紀[8] ・陵守の歴史。
2017.09.16(sat) 仁徳天皇紀[7] ・景行天皇や神功皇后の時代が紛れ込んだか。
2017.09.09(sat) 仁徳天皇紀[6] ・鷹狩と、地名「百舌鳥」を考察する。
2017.08.21(mon) 仁徳天皇紀[5] ・兎我野の鹿の伝説から、文法を探る。
2017.07.29(sat) 仁徳天皇紀[4] ・天皇・皇后が言い争う歌を読み解く。
2017.07.22(sat) 仁徳天皇紀[3] ・鉄盾を打ち破る鉄鏃があったか。
2017.05.02(tue) 応神天皇紀[4] ・猪名部が担った職は何か。
2017.04.26(wed) 応神天皇紀[3] ・22年条と記の孝霊天皇段との関係を探る。
2017.04.01(sat) 仁徳天皇紀[1] ・即位前の事件。
2017.03.31(fri) 応神天皇紀[2] ・『百済記』は実在の書か。
2017.03.04(sat) 応神天皇紀[1] ・百済辰斯王の崩の真相は。
2017.02.13(mon) 神功皇后紀[6] ・年代の二重性。
2017.02.07(tue) 神功皇后紀[5] ・百済国の古地名を探る。
2017.02.02(thu) 神功皇后紀[4] ・卓淳国はどこにあったのか。
2017.01.29(sun) 神功皇后紀[3] ・葛城襲津彦の渡海の真相。
2017.01.25(wed) 神功皇后紀[2] ・住吉大神荒魂を祭る。
2017.01.21(sat) 神功皇后紀[1] ・裂田溝(さきだのうなで)。
2016.11.01(mon) 仲哀天皇紀[1] ・白鳥献上の逸話。
2016.09.17(sat) 景行天皇紀[5] ・日本武尊崩御の後日譚。
2016.06.10(fri) 景行天皇紀[2] ・九州巡狩。
2016.06.02(thu) 景行天皇紀[1] ・九州への親征。